岩手行き

入院中の母方の祖父の具合が悪く、医者から「会わせたい人に会わせておいたほうが言われた」と母から残業中の職場に電話が入る。母は看病のため3日前から岩手に行っている。仕事を切り上げて東京駅に向かう。

すぐに盛岡行きの切符が取れるかと思ったが、月末の金曜日ということでか、盛岡行き最終の新幹線の自由席しかとれなかった。1時間半後の発車。

駅弁を選ぶなどして時間をつぶす。美味しいと聞いていた<老舗の味「東京弁当」>という豪華版にする。ビールはさすがに飲む気にならず、お茶を一緒に買う。座りたいので、発車40分前ぐらいに、自由席の列に並ぶ。

列車が来て、乗り込む。通路側の席を確保できた。席はいっぱいだが、通路には数人が立っている程度。しかし、上野駅でたくさんの人が乗ってきて、たちまち通路は立錐の余地がなくなる。私の横に立っている女性は、駅弁とお茶の袋を持っているが、もちろん食べられるような状態ではない。同情しながらも、<老舗の味「東京弁当」>を食べる。高いだけあって確かに美味しい。

仙台でかなりの人が降り、車内が空いたように思えたが、仙台から降りた以上の人が乗ってきた。こんなに混んだ新幹線に乗るのは初めてかもしれない。

盛岡に午後11時半着。駅には「ワールドカップで頑張れ! 小笠原選手」の垂れ幕がいくつか下がっている。小笠原は岩手出身だったのか。

母に連絡を取ると、今日は、もう会えないということなので、盛岡駅前のホテルに泊まることにする。ベッドに入るも、なかなか寝付けず。結局、寝たのは3時過ぎになってしまった。

内田樹小田嶋隆平川克美町山智浩『9条どうでしょう』(毎日新聞社を読了。豪華執筆陣による憲法9条改憲についての読みやすい論考。9条は確かに現実との乖離はあるが、4人が言う「それに何の不都合が」という部分に共感できる。確かに、その乖離は落ち着かなさを味あわせてくれるが、大事なのは、9条がもたらす結果だろう。自衛隊発足後の憲法の理想と現実が乖離した40年間においても、9条は、その効力において意味があったし、これからも意味があるのではないだろうか。

9条どうでしょう

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