「悪意」と向き合う

ニュースでは、人の「悪意」が引き起こした数多くの事件が報じられている。それを見て、人は−少なくとも自分は−「可哀想に」とは思うものの、その悪意によって傷つけられた人に感情移入することなく、あくまでも対岸の火事のようにニュースを眺めている。

ここ二ヶ月ほどの出来事で、人の「悪意」と真正面から向き合うことは、こんなにもつらいことなのかと、今更ながら思う。

そして、対岸の火事のように、その種の事件を眺めてきた自分の「鈍感」さも再認識している。ただし、それは悪いことではなく、そういうことに鈍感でなければ、人はとても生きていけないとも思う。

私の家族に向けられた「悪意」に対して、現実的な対処もしてきたが、相手の悪意の源泉がわからない不気味さもあり、考えなくてもすむし、眠れないからと、お酒に逃げたりもした。

昨日から、矢幡洋『マジ切れする人 逆切れする人 サドの意地悪、マゾのグチと共生するために』(講談社+α新書)を読んでいる。ここで、紹介されている「サディスティック・パーソナリティ」(性的サドではない)の、相手を屈服するまで執拗に攻撃する性向が、相手の性格に、あまりにもあてはまる。

もちろん、決して決め付けているわけではなく、こちらとしては、相手の悪意の源泉がわからないよりも、こう思っておくほうが少しは気が楽になるというだけだ。

とりあえず、今日からはお酒に逃げるのはやめよう。強い気持を持って、現実的な対処を続けていこう。

芝山幹郎『映画一日一本 DVDで楽しむ見逃し映画365』(朝日文庫)を読了。まさしく見逃し映画が満載だ。また、よくぞ、この映画を取り上げてくれたというものもある。以前から、この著者の「選球眼」の良さには敬服してきた。仕事もひと段落で、一年のうち一番落ち着いた時期にはいる。一日一本とはいかなくても三日に一本ぐらいは、ここで紹介された見逃し映画を見たいものだ。

映画一日一本―DVDで楽しむ見逃し映画365 (朝日文庫)

映画一日一本―DVDで楽しむ見逃し映画365 (朝日文庫)

※日記の更新が大幅に遅れています。ここ一ヶ月のメモ的な日記はありますので、時間を見て、少し肉付けしてアップします。その際は、最新の日記で過去の日記の更新をお知らせします。