黒岩さん、さようなら。

黒岩比佐子さんが一昨日17日にお亡くなりになった。

その日、飲み屋に行くと、仕事先の毎日新聞で訃報を聞いたという魚雷さんが呑んでいた。呑みながら黒岩さんの話をしたが、酔いが深く、その記憶も定かでない。

昨夜も同じような感じ。 自分でもこうなのだから、黒岩さんの周囲の方々の悲しみは計り知れない。

酒に逃げては駄目ですね。きちんと黒岩さんの死を受け止めなくては。とりあえず今日は酒を抜きます。

9月のみちくさ市でお会いしたのが最後だった。旧高田小学校から鬼子母神通りに抜ける道で「ネギさん」と声をかけていただいた。そのときの笑顔が忘れられない。本当にいつも笑顔の印象しかない人だった。

ガンと闘病されてからは、本当につらい日々だったと思うが、人前ではいつも笑顔だった。

昨日のお通夜、今日の告別式と出席させていただいた。

黒岩さんの最初の著書『音のない記憶』が出版されたのは1999年だと、担当編集の方の弔辞で再認識した。10年あまりで、あれだけ濃密な仕事をされたのかと今更ながら驚いた。

寄せられたむのたけじ氏の弔辞によれば、むの氏は「ノンフィクション作家なんて肩書は似合わない。あなたはヒストリー オーサーを名乗るべきだ」と言っていたそうだ。読売新聞掲載の追悼文で片山杜秀氏が「日本にはアカデミズムと一線を画した在野の史家の伝統がある。(略)黒岩さんはノンフィクションライターの域を脱し、そういう山脈に連なりはじめていた」と書いているのに呼応する。

黒岩さんは10冊の本を遺された。多くの人に読んでほしい。私も、これからも黒岩さんの本を繰り返し読んで、黒岩さんのことを思い出す。

先月、刊行された『パンとペン』は、これを書ききるまでは死ねないという黒岩さんの気迫が詰まった傑作だ。先月、姫路出張の帰りに新幹線で『パンとペン』を読んでいたところ、上司が興味を示し、「ちょっと貸して」という。上司は東京に着くまで読み続け、「これはすごい本だね」と言って返してくれた。そう、すごい本だ。

『パンとペン』は読了しているが、6月に出た『古書の森 逍遥』は少しづつ読み進めていて、まだ読み終わっていない。6月の刊行を記念したトークのときに、黒岩さんが丁寧に署名してくれたこの本には、そのときに皆で撮った集合写真を栞代りに挟んでいる。今となっては、この本は、ちびちびと、いつまでも読み終わらないようなペースで読んでいきたいと思うが、当然ながら、いつかは読み終わってしまう。あの日、打ち上げ会場のヒナタ屋で、トークを終えた疲れがはた目からもはっきりとわかる黒岩さんだったが、いきいきと本のことを語っていて、本当に書物を愛している気持が溢れんばかりだった。

黒いスーツに身を包み、颯爽としていた黒岩さんは自分にとって「憧れのお姉さん」みたいな存在と勝手に思っていた。

黒岩さん、本当にお疲れさまでした。さようなら。

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

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